北陸本線の廃線跡めぐり(1) [鉄道一般]
せっかく車があるんだから車でしか行けないところに行ってみようプロジェクトの第2弾(第1弾はこちら)ということで(?)、この秋、滋賀県~福井県にある北陸本線の廃線跡に行ってきました。結構長い距離の廃線跡が今でも道路として利用されているありそうでなさそうなスポットです。では、運転士気分で出発進行!
家から(ほとんど一般道で)半日以上かけてまずやってきたのは、国道365号線を長浜から北上して、北陸本線の現在線と別れてちょっと行ったところにある長浜市役所余呉支所。
この道路が廃線跡。この写真の左側に見えているのが当時のホーム跡。
中ノ郷駅です。長浜市中之郷にあるためか、レプリカの駅名標には「中之郷」となっていますが、駅名は「中ノ郷」だったそうです。
この日は国道365号線がこの先で通行止めだったためか、交通量は非常に少なめ。平日の昼間ならいつもこんなものなのかな?
ここから北上していくと、国道からそれて細い道へ。その先にあるのがこちら。
柳ケ瀬隧道。右上には北陸道の看板が写っています。
このトンネルは長さ1352mの、完成当時(明治17年)日本最長を誇った単線鉄道トンネルです。現在使用中のトンネルでは日本で2番目に古いものだそうな。そんな細かい情報は、トンネルの両側にある立て看板に詳しく書かれています。
↑これは敦賀方の案内板。
では、信号が青になるのを待って進入。う~ん、電車チック。
もう気分は運転士です。単線トンネルなので、車がすれ違える余裕はありません。
長いトンネルを抜けて反対側。
当時のままの坑口が残っています。それにしても、この規制標識の数々・・・。通行禁止は「マイクロバスを除く大型車」「軽車両」「歩行者」。つまり、バイクか乗用車しかダメなんですね。はじめに車でしか行けないと言ったのはこのせい。
この先の廃線跡は、大半が北陸道に飲み込まれています。でも、わずかな隙間に貴重な遺構が残っています。それがこちら。
小刀根トンネル。長さ56mと短いですが、完成が明治14年と、柳ケ瀬隧道よりも古く、現存する日本最古の鉄道トンネルと言われています。坑口のアーチの要石にも「明治十四年」と彫られています。
中もこんな感じ。
石積みそのままですね。
この先敦賀方面は、トンネルの改修や道路の拡幅等で、廃線跡の雰囲気はありません。
なので、敦賀駅の向こうまでまっすぐ向かいました。
(つづく)
家から(ほとんど一般道で)半日以上かけてまずやってきたのは、国道365号線を長浜から北上して、北陸本線の現在線と別れてちょっと行ったところにある長浜市役所余呉支所。
この道路が廃線跡。この写真の左側に見えているのが当時のホーム跡。
中ノ郷駅です。長浜市中之郷にあるためか、レプリカの駅名標には「中之郷」となっていますが、駅名は「中ノ郷」だったそうです。
この日は国道365号線がこの先で通行止めだったためか、交通量は非常に少なめ。平日の昼間ならいつもこんなものなのかな?
ここから北上していくと、国道からそれて細い道へ。その先にあるのがこちら。
柳ケ瀬隧道。右上には北陸道の看板が写っています。
このトンネルは長さ1352mの、完成当時(明治17年)日本最長を誇った単線鉄道トンネルです。現在使用中のトンネルでは日本で2番目に古いものだそうな。そんな細かい情報は、トンネルの両側にある立て看板に詳しく書かれています。
↑これは敦賀方の案内板。
では、信号が青になるのを待って進入。う~ん、電車チック。
もう気分は運転士です。単線トンネルなので、車がすれ違える余裕はありません。
長いトンネルを抜けて反対側。
当時のままの坑口が残っています。それにしても、この規制標識の数々・・・。通行禁止は「マイクロバスを除く大型車」「軽車両」「歩行者」。つまり、バイクか乗用車しかダメなんですね。はじめに車でしか行けないと言ったのはこのせい。
この先の廃線跡は、大半が北陸道に飲み込まれています。でも、わずかな隙間に貴重な遺構が残っています。それがこちら。
小刀根トンネル。長さ56mと短いですが、完成が明治14年と、柳ケ瀬隧道よりも古く、現存する日本最古の鉄道トンネルと言われています。坑口のアーチの要石にも「明治十四年」と彫られています。
中もこんな感じ。
石積みそのままですね。
この先敦賀方面は、トンネルの改修や道路の拡幅等で、廃線跡の雰囲気はありません。
なので、敦賀駅の向こうまでまっすぐ向かいました。
(つづく)
2014-12-20 22:09
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